てんかんストーリー

てんかんの当事者として、自らの体験を講演会や書籍でも発表している山根美砂さん。てんかんをお持ちの方が、それぞれ「自分らしく」得意なことを伸ばしていける社会を目指したいと日々願っています。彼女のてんかんとの向き合い方や活動をご紹介します。

てんかんとおわかりになったのは何歳ごろのことですか?

幼稚園時代、先生から、「時折、ぼーっとしていることがある」と言われたことがあるそうですが、てんかんの発作があったのは、小学校1年生の秋でした。校庭で遊んでいたとき、倒れて、気づいたらベッドの中でした。
それからは、いつ何が起こるかわからないという気持ちでいました。お味噌汁をこぼしたり、階段から落ちたりと。そうこうしているうち、「すみません」とか謝るのが口癖になっていましたね。
ただ、両親は私を自立させようと意識していたように思います。父の口癖は「強くなれ」でしたから。

その後はどのようにお過ごしになられたのですか?

学生時代から、人を笑わせるのが好きで、楽しく過ごしていたのですが、中学校のとき、てんかんのことで少し嫌な思いをしたこともありました。この経験から、他の誰かに自分と同じ思いはさせたくないと、周囲に対して優しくすることを覚えました。
その後、高校生から社会人にかけて人形劇の活動に参加して、さまざまな場所で子どもたちが楽しんでいる様子を見るのが好きでした。
また、自分と同じように困っている人の助けになりたい、なにかに困っている人、例えば眼や耳などが不自由な方や、高齢者の方にも積極的に手助けしたいと思うようになりました。手話や同行援護はその行動の一環です。

その後はどのようにお過ごしになられたのですか?

ご自身の生活について、記録を取られているとのことですね?

どのようなときに発作が起こったなどをノートにつけるようにしています。側頭葉型は、強い喜怒哀楽の感情が発作の原因になりやすいということも、これらの記録から予期することができますので、日々、平常心でいることを心がけたいと思うようにはなりますね。一言で言えば、笑顔でいられるようにするということだと思います。もちろん、難しいときもありますけどね(笑)。
ぜひ、みなさんにも、手帳やノートなどに日々の記録を書き留めておくことをお勧めしたいと思います。
たとえば、発作の前兆を感じたら、近くのベンチなど安全なところに移動することができるのも、常に、自分のどういった状態が発作を引き起こすのかを記録していることが役立っています。また、自分なりに緊張しすぎたと思ったときは、無理をせずに頓服も利用しています。
何よりも、人任せにせず、自分でコントロールすることを目指すべきだと思っています。

美砂さんは、地元の鳥取でてんかんの当事者の仲間を集めたグループを主催しておられます。
この会はどのような経緯で生まれて、どのような活動をされているのですか?

はじめは、当時お世話になっていた精神科医の植田俊幸先生のお声がけがきっかけでした。2007年のことで、翌年には「ピアサポートグループ フレンズ」という名称に決まりました。この名称は先生のみならず、当時の仲間たちと意見を出し合って決めた覚えがあります。てんかんの当事者ばかりではなく、そのご家族や一般の方々でも気軽に参加して、てんかんのことを知ってもらえる場にしたいという思いがありました。立ち上がったばかりのころは、まさに手探り状態で、200枚の手作りカードを病院や市役所などに置かせていただくようお願いして回りました。結果、初回の講演会には40名もの方が、有志で場所を提供してくださったパン屋さんに集まってくれました。
今も続けている活動としては、当事者の体験談や、先生方のお話を伺う定期的な講演会や、一般の方々への啓発活動です。また、災害などが起こったときは、義援金の募金活動などに参加することもあります。

「パープルデー」にはいつごろから
参加されたのですか?

2017年に初めて参加して、一般の方々にもてんかんへの理解を深めていただけるような啓発グッズを配りました。その後、全国で行われているさまざまな活動を知り、地元鳥取らしい象徴的なことをしたいと思い、2年後の2019年には、市役所や、商店街に相談して、鳥取駅前の象徴的なアーチ状の天蓋「バードハット」を紫色にライトアップしていただくことが決まりました。カウントダウンが始まり、3月26日午後6時ちょうどに天蓋のライトが灯り、私たちや、通り行く人たちを紫一色に染めた日のことは今も鮮やかに思い出されます。

バッジの写真
その後はどのようにお過ごしになられたのですか?

同年、本も出版されていますね。

先ほどお話させていただいたように、ピアサポートグループ フレンズでは、先生のお話のみならず、メンバーが実際に体験したような、てんかんにまつわるさまざまな状況を再現した「ロールプレイング」を先生監修のもと実施したり、当事者自らの体験を語ったりする構成になっています。私も何度もそうした機会をいただくことがあり、植田先生から、その多くの体験をぜひ本にまとめてみてはどうか?というアイデアをいただいたんです。
本にしたことで、全国のてんかんの当事者、そのご家族、またてんかんを学びたいという学生さんや、出版社の方など幅広い方々との交流が生まれました。

同年、本も出版されていますね。

美砂さんが、今後やっていきたいと思うことは
どのようなことですか?

ピアサポートグループ フレンズを、より多くの人に楽しんでもらえる場に成長させていきたいですね。また、本だけではなく、今後はサイトなどでも情報発信していけたらと思います。友人のなかには、私に触発されて本を書かれる人も出てきました。
そして、何よりも、子どもたちに、てんかんのことを知ってもらうことが夢ですね。
ぜひ、学校などにも伺って、てんかんに対する正しい知識を持ってもらえたら嬉しいです。

 美砂さんが、今後やっていきたいと思うことはどのようなことですか?

他のてんかんの当事者の方々へ

てんかんの当事者であっても、自分をつくりあげるのも、変えるのも自分だと思っています。だから、「自分がこうしたい」というイメージを大切にするとよいと思いますね。
私は、笑顔を大切にしています。いつも、周りの人を暖かくできるような、ヒマワリのような存在を目指しています(笑)。
また、ぜひ、当事者でもやれることを一緒にやっていきましょう。
私は、当事者として声をあげることで、この社会のさまざまな偏見や差別を変えることができることに気づいたんです。私も、フレンズの活動や、出版をするまでは、自分を世の中に出すことにためらいがありましたが、前に出ていくことで、誰かの力になれるのだとわかったので、今後も積極的に仲間たちと発信を続けていきたいと思っています。
そして、あなた自身も得意なことを伸ばしていってください。
「てんかん」という病名に引け目を感じる必要なんてありません。あなたらしく生きればいいじゃないですか。
過去にとある先生から言われたことですが、「意識がないのは2〜3分の間。それ以外は普通の人と変わらない」と、私はいつも考えています。働いたり、人生を楽しんだりしている、多くの人たちと変わりませんよね。みなさんはどのように思われますか?
そう、何をするにも、頭からできないと思わず、チャレンジしていくことをお勧めしたいです。
過去にとらわれずに、未来を私たちで創っていきませんか?
いつでもご連絡をお待ちしています。
山根美砂

取材日:2022年5月