てんかんストーリー

小学校時代の周囲からの偏見を乗り越え、中学校では勇気ある一言で、友達の輪を広げはじめ、今では多くの友人や仲間に囲まれているヒロミさん。てんかんに対するマイナスなイメージを払拭し、どのようにして、「自分自身を肯定していく力」を得てきたのかをご紹介します。

てんかんを発症された頃のことを
教えていただけますか?

小学校2年生のとき、初めての発作がありました。当時の発作は、まさに「時間が飛んだ」かのような状態でした。はっと気づいて目を開けると、保健室や自宅で心配そうな先生や両親の顔が近くにあってビックリした記憶があります。同じ状況を度重ねるうち「私は倒れたのだな」と理解できるようになりましたし、発作後は、頭痛や、倦怠感で「発作」があったのだと実感しました。

てんかんを発症された頃のことを教えていただけますか

治療の経過を教えていただけますか?

初めは地元のかかりつけの病院で診察を受けて、総合病院の小児科を紹介していただき、後に脳神経外科の先生とも連携してもらえました。特発性のてんかんと診断されたのは10歳のときです。それまで、1ヵ月に2回くらいだった発作は、11〜12歳頃にはお薬も1剤で安定してきて年に1回くらいにまで減少しました。私の場合は、粉にしても錠剤であっても、服薬量の調整が難しかったのではないかなと思われます。早期に診断を受けて、治療を始めることができたのは良かったと思います。

いじめや偏見も少なからず
おありだったと伺いました

通っていた地元の幼稚園と小学校は人数も少なくて、8年間ずっと同じクラスメイトという環境でしたから、てんかんと知られるようになってからは、自分の症状を真似るクラスメイトや、親から「あの子と関わるんじゃないよ」と言われた子さえいたようです。母からは、気丈に振る舞うように言われていましたが、同じ学校にいた兄弟につらい思いをさせていたのではないかと思います。もちろん、分かってくれて多くを語らないっていう風にしてくれた同級生もいたと思います。また、当時の校長先生から「つよい心」という直筆の色紙をいただきました。今でも自分の気持ちが揺らいだときは、これを取り出して勇気をもらっています。

てんかんを発症された頃のことを教えていただけますか

校長先生直筆の文字

中学校以降では状況に変化がありましたか?

地域の複数の小学校から集まってくる中学校でしたので、同級生の数が一気に十倍くらいになって、まさに新しい世界を訪れたような感じでした。ある日、私は近くにいた同級生に「私ヒロミっていうの。よろしくね。」と勇気を振り絞って声をかけて、彼女と友人になりました。それはまさに、自分の殻を破ることができた瞬間でした。ちなみに、その人は今でも私の親友です。この時期、発作も年1〜2回は起きましたが、自宅に帰って、緊張がほぐれた瞬間だけだったので、親しい友人たちにもほとんど知られていませんでした。友人が増えるに従って、自分を肯定できる気持ちに切り替わり、すべてのことに意欲的に取り組めるようになりました。部活動では、吹奏楽部でクラリネットを担当して、高校生まで続けました。高校は、親の希望もあり建築科のある工業高校に進学しました。

 中学校以降では状況に変化がありましたか?

建築科を卒業されたあとは、関連のお仕事を?

建設会社に就職してまもなく、事務仕事はもちろん、図面引きや、現場での採寸作業にも携わるようになりました。とある住宅のリフォームの案件では、主担当を任せられ、若いうちから多くの実務経験の機会をいただきました。この頃、デスクワーク中に発作で倒れたこともありましたが、職場はとても寛大に接してくれたことを覚えています。その後、20代後半で好奇心が旺盛だったこともあって、転職活動を始めました。ところが、自分がてんかんであることを伝えての求職活動の難しさを知り、小学校卒業後は意識しなくなっていた、この疾患への偏見を改めて感じることになりました。

建築科を卒業されたあとは、関連のお仕事を?

そんな折、患者会*に出向かれたそうですね?

きちんと自分の疾患に向き合えていないかもしれないって感じたところもあったので、勇気を持って参加してみました。そこでは、同じ悩みを持つ人と共感し合えたり、睡眠や食事、お酒など、生活で改善するヒントをもらうことができました。何よりも、お薬の情報についての意見交換とか情報交換もできたのがありがたくて、同じ薬を服用していても、副作用の出方が全然違ったとか、量や飲むタイミングがどうかといったことを話し合えました。

障害者手帳は大人になってから取られたのですね?

子供の頃、母から「てんかんは心の病ではない」と言われて、障害者手帳は取りませんでした。30歳ごろになってようやく手帳を取るのですが、医療費でのメリットもさることながら、障害者訓練を通じて様々な障害をお持ちの方と出会い、新たな価値観や、生活スタイルなど、「無理なく生活すること」を学ばせていただきました。これまで、自分自身、無意識にストレスを抑えて生活していたことにも気づけました。今年からは、障害者年金の受給対象になり、自分の働き方にも少しだけ選択肢が増えたと思っています。これまで一日の大半を働いて過ごしてきたので、これからは自分の体力や体調と相談して、本当にやりたい仕事に取り組んで行けたらと考えています。

多くの出会いを通じて
ヒロミさんは強くなってこられた

もともと、人の世話をするのが好きなのかもしれないですね。疾患のこともあり、何かと周囲の方からお世話になる機会が多い分、自分の体調の良い時はそのお返しをしたいという意欲が強いんです。最近では、とあるボランティア活動に参加していて、幅広い世代、立場の多くの方々と交流しています。そこでは、勉強会や研修もたくさんあり、刺激的なひとときを過ごしています。

 中学校以降では状況に変化がありましたか?

他の患者さんや、てんかんと診断されて間もない方へ

私のように、てんかんを幼少期から持つ人ばかりではなく、大人になってから怪我などで発症される方もいらっしゃるかと思います。その方も、てんかんと診断された瞬間、マイナスなイメージに陥ってしまうかもしれませんが、理解ある医療関係者の方々とより良い関係を築いて、ご自身の病気に少しでも向き合う時間を1日の中のどこかに作っていただけたらなって思います。大事なことはマイナス思考にならないことです。また、障害者手帳を取ることで「自分が否定されている」などとは思わず、今、自分に必要なものは何なのだろうか、これからの生活を豊かに自分や周囲の人たちの負担を少なく楽にするにはどうしたらいいのだろうかと考える。また年金についても検討されてよいでしょう。こうしたことを患者会に参加して相談してみるとか、ソーシャルネットワークを通じて世界を広げていくこともおすすめします。

*日本てんかん協会

取材日:2021年11月