第一回いっしょに知ろう「てんかんストーリー」

二人のお子様の子育ても一段落して、自分自身の人生をより豊かに過ごしていかれようとしているカヅさん。友人に恵まれ、てんかんであることに引け目を感じることなく長年過ごしてこられた彼女から、てんかんのお子様をお持ちの方々や、これから結婚や出産を考えておられる方々の勇気につながるストーリーをご紹介します。

子供の頃のお話を伺えますか?

私がてんかんと診断されたのは、8歳の時でした。幼児期には誰かに名前を呼ばれても振り向かないこともあったようです。学校では突然倒れて気づけば保健室にいたというような症状がありました。自分では、気分が悪い、頭痛がひどいということはありましたが、「これが普通なこと」と受け入れていました。
もちろん、小学校ではプールに入れない年があったり、運動部ではなく文化部を進められたり、高校の友人との卒業旅行を親に止められたりはしましたが、苦になるほどの制限を受けたという思い出はありません。
むしろ、友人もてんかんのある私を自然に受け入れてくれました。例えば倒れて保健室で寝ているときに様子を見に来てくれたり、ノートを持ってきてもくれました。高校生にもなると、先生がいなくても、クラスメイトの一人が率先して、周囲に指示を出して対応してくれたくらいです。いつも誰かが助けてくれる学校生活でした。

保健室で看病を受ける学生

恵まれた子供時代を送れたのは、環境が良かったからなのでしょうか?

このように、私はてんかんを引け目に感じることもなく、楽しい子供時代を過ごすことができました。後年、学校の先生から聞いたところでは、私の両親が教職だったことから、てんかんについての学校への説明が適切だったことがわかったのです。
主なことは、学校に責任を押し付けすぎない、任せすぎないことで、両親は「親としては万が一の覚悟もしているので、必要以上の制限をかけないでください」と伝えてくれていたそうです。
また両親が共働きで、いい意味で私に関わり過ぎず、適度な距離感があったのが良かったのかもしれません。親が神経質すぎると、必ず子供にも伝わってしまうと思います。
サポートは重要ですが、干渉し過ぎないということも、同じぐらい重要です。それだからこそ、私はずっと自然体でいられたし、結果、周りの友人もてんかんを普通のこととして受け入れてくれたのではないでしょうか。

しかし、大人になられてから、人との違いを意識するようになった?

私が恵まれた環境で育ってきたこともあり、てんかんを持っていることを意識しないで長年過ごしてきましたが、ある時「そうではないかもしれない」と気付かされることになります。それは、短大時代の就職活動時に、友人の母親が「てんかんのことを言わない方がいい」と漏らしていたことが私に伝わってきたからです。
その頃は私も発作がほとんどなかったので、「わざわざ言う必要はないよ」という配慮だったとは思うのですが、はじめて自分が「そういう立場にいるのかな」と感じた瞬間でもありました。

お若くして結婚されていますが、その頃のことを教えていただけますか?

25歳を過ぎて、結婚しようと思った相手ができましたが、周囲の反対で前に進まなくなりました。当時の主治医の先生は相手の親に直接説明をしてくださいました。しかし、てんかんへの偏見は解けず、相手の親戚が「てんかんの血を入れるわけにはいかない」と言っていたと聞き、私自身の気持ちは冷めてしまいました。その方とは終わりを迎えました。
その後に出会った人と結婚しました。彼の両親は「そういう病気があるんだ、大丈夫?」労わってくれる方達でした。

赤面する男性と女性
二人の子供を抱える女性

カヅさんの、今後の夢や希望について伺えますか?

6歳になる長女は阪神淡路大震災の少し前に産まれました。子供のころからそのことを散々聞かされて育ってきたせいでしょうか、災害看護の道に進みたいと、今は看護師として働いています。次女も看護学部の学生で、来年から看護師になります。
子育てが一段落して、コロナが明けたら、好きな美術館や観光地を巡ったり、海外旅行にも行きたいです。また、いつか通信制大学に通って社会福祉など学んでみたいです。
まだまだ、チャレンジしたいことはたくさんあります。

妊娠・出産を経て

結婚後、妊娠するも、自分の発作や飲んでいる薬が子供に影響しないか不安な日々は続きました。しかし、その頃知り合ったてんかんのお子さんを育てているお母さん達の明るさやパワーに触れ、「これなら生まれてくる子供にもし障害があっても大丈夫」と大いに勇気づけられたことを思い出します。てんかんで受診している総合病院の産婦人科で一人目を出産しました。主治医の先生が近くにいらっしゃるのも大きな安心でした。
無事、二人の娘にも恵まれ、家事育児に専念する日々を経て、下の子が3歳になったのを機に、仕事を始めることもできました。

散歩している女性

妊娠・出産を経て

結婚後、妊娠するも、自分の発作や飲んでいる薬が子供に影響しないか不安な日々は続きました。しかし、その頃知り合ったてんかんのお子さんを育てているお母さん達の明るさやパワーに触れ、「これなら生まれてくる子供にもし障害があっても大丈夫」と大いに勇気づけられたことを思い出します。てんかんで受診している総合病院の産婦人科で一人目を出産しました。主治医の先生が近くにいらっしゃるのも大きな安心でした。
無事、二人の娘にも恵まれ、家事育児に専念する日々を経て、下の子が3歳になったのを機に、仕事を始めることもできました。

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カヅさんの、今後の夢や希望について伺えますか?

6歳になる長女は阪神淡路大震災の少し前に産まれました。子供のころからそのことを散々聞かされて育ってきたせいでしょうか、災害看護の道に進みたいと、今は看護師として働いています。次女も看護学部の学生で、来年から看護師になります。
子育てが一段落して、コロナが明けたら、好きな美術館や観光地を巡ったり、海外旅行にも行きたいです。また、いつか通信制大学に通って社会福祉など学んでみたいです。
まだまだ、チャレンジしたいことはたくさんあります。

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親の立場の皆様へ

「てんかん当事者としての子供」だった私から、お伝えできることです。
てんかんへの偏見が問題になることがありますが、社会に出る前の時点で、家族が「てんかんだから無理だ」「病気だから仕方ない」というレッテル貼りをしていないか気をつけて頂ければと思います。親がてんかんを隠しごとのように感じていれば、子供は、てんかんの自分はダメな自分だと思い込んでしまいます。
症状の重さに関わらず、一番身近な家族が正しく受け入れて、「あなたはてんかんだよ、一緒に治していこうね」と本人にも周囲にも伝えていく。こうした明るく前向きな姿勢も適切な治療につながるかと思います。
最近はありのままでいいという考え方もあるようですが、それは何もしなくていいということではないと思います。もっと積極的に治療すれば治まってくるかもしれない。少しでも症状が良くなれば子供の能力をもっと伸ばすことができるかもしれない。ご本人もご家族も病気に向き合っていくという意識が必要だと思います。

将来結婚、出産を考えている方へ

当事者や夫婦だけで抱え込まないようにしてください。制度を活用し、家族や周囲のサポートを受けられる方は積極的に。自ら「助けて欲しい」「手伝って欲しい」と伝えていくことです。一番良くないのは、てんかんに罪悪感を持ったり、隠してしまうことです。

最後に

てんかんの発作や薬の副作用でしんどいこと、社会の偏見から辛い経験をすることもあると思いますが、理解してくれる人、理解しようとしてくれる人もたくさんいます。てんかんがあることでの素晴らしい出会いもあります。てんかんは自分の一部ですが自分の全てではありません。みなさまが、家族、友人、医師、学校の先生、職場、地域、周りの人達やこれから出会う人達…その方たちと良い関係が築けますように願っています。

取材日:2021年8月